岩国市のパラアスリート紹介 酒井幸春さん(「治療院」開業中)
ブラインドテニスに魅いられて25年 酒井幸春 さん
障害: 視覚障害(全盲)
略歴: 就職して普通に会社勤めに従事していたが29歳の時に職場の事故により失明。状態が安定するまでしばらく年月がかかり35歳頃広島の盲学校に通学して鍼灸院の資格取得(はり師・きゅう師・あん摩マッサージ指圧師)。岩国市平田にて「治療院」開業して現在にいたる。
資格: はり師・きゅう師・あん摩マッサージ師 →「三療師」とも呼ばれている (岩国市平田にて「治療院」開業中)
鈴を封入した9CMのスポンジボールを音源とし相手のコートに打ち込み耳で追ってゲームを進めます。(昔は鈴入りピンポン玉でプレイしていた)
コートのラインが手や足、ラケットでさぐって分かるように紐の入ったラインテープをコートの周りに貼ります。プレイにあたっては、障害の程度に応じて2バウンドもしくは3バウンド以内で打ち合います。サーバーは声かけしてレシーバーが応答してプレイが始まります。
ラケットは国際ルール23インチ(60センチ)までの長さの使用が認められています。(子供のキッズ用公式テニスの規格)
ゲームの勝敗の流れは一般の公式テニスに準じています。コートの大きさは以前はバドミントンと同じサイズでしたが現在は少し変更されてるようです。(B1クラス) ブラインドテニスは程度によりクラス分けがあり酒井さんは全盲のB1クラスです。
広島の盲学校(現在は支援学校)の同級生から卒業後に広島に眼の不自由な人のテニスがあると聞いて訪れてみた。(現 広島市心身障害者福祉センター) それからそのテニス教室に十数年通い練習しました。テニスはそれまで全くの未経験。
視覚障害者の球技スポーツとは転がすか転がってるのを蹴るか投げるかだがブラインドテニスは飛んできてはねて空中の球を打つ三次元のスポーツ。打てた時の感動が魅力。ゾーンに入ってくるとボールの動きや相手の位置動きが見えてきてこれも醍醐味だそうです。
はじめはあまり参加していなかったが広島と愛媛の友達に誘われて全国大会へ年間3~4回出るようになりました。西日本大会(大阪) 中部大会(名古屋) 全国大会(所沢) 茨木大会等に参加していました。大会参加準備には愛媛の友達の協力がありました。昔はサーブが勝負でサーブ合戦でしたが今はレベルがあがりラリーになってます。
点字を習っていた時に知り合ったTさんが酒井さんがブラインドテニスの上達に協力してくれました。以後Tさんに練習協力を二十数年続けていただき今も時間の許す限り立ち会っていただいてます。また広島の大学でテニスやっていたKさんにはテニスの技術的な指導をしていただきレベルアップしたそうです。練習ですが広島でしていましたが岩国市福祉会館4階にコートを作ってもらってプラス個人練習ができるようになって感謝しています。(週一回いつも随行の奥様にも感謝!)
70歳を超えて試合に参加しても思うように動けてない取れる球もとれないことがあるので今後のこと全国試合参加については思案中です。しかし80歳までやられたかたもおられるし。以前はサーブで決めていたが最近は返してきますね きったボールを返されたら打ち返すのが大変(笑) 左腕で打ってボールの回転を変えるサーブ練習中。打っても音がしない球の研究中? いろいろ新しい技の切磋琢磨しています。
ブラインドテニスが発祥してから随分たちますがまだ障害者スポーツ パラリンピック項目になっていないのは残念です。岩国市でもこれからブラインドテニス継続発展させていきたいのでやってみたい方サポートしていただける方に期待しています。
視覚障害者が何かに興味をもち楽しみながらそれを追及し関わりあいながらの新しい人との出逢いはとても大切だと思っています。家に閉じこもらず白杖をもちながらも外に出てスポーツをするブラインドテニスがそのきっかけとなればと願っています。
※当ホームページ内の「岩国の福祉の魅力再発信‼ 」コーナーでも紹介しています。→こちら
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